エーリッヒ・レーデラーの紹介


 1912年,ノイレングバッハ事件後,クリムトは落ち込んでいたシーレに重要なパトロンの一人であるレーデラー家を紹介した。工場経営者アウグスト・レーデラーの息子エーリッヒ・レーデラー(Erich Lederer, 1896~1985)はシーレと初めて会ったとき,16才であった。エーリッヒは芸術性はもちろんのこと,エロティックなものに対する好奇心も相乗して,シーレに心をすっかり奪われてしまったのである。エーリッヒは,シーレのアトリエで素描のレッスンも受けたほど熱中した。さらに,そんなに乗り気ではなかったと思われる両親を熱心に説得し,300点を越えるシーレの作品を購入した。
 ヒットラーがオーストリアを併合した1938年,社会主義者やユダヤ人など多くの人たちがオーストリアを脱出した。エーリッヒも同年ウィーンを脱出し,1985年までジュネーブで質素に暮らす。晩年,クリムトとシーレの評価が高まってきたため,両画家のコレクションを所有していたエーリッヒ・レーデラーの生活は好転した。生涯を通して,シーレの信奉者であった。
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