ウィーン旅行の報告

クリムトを訪ねて

 ウィーン旅行(02/11/19-26)の目的は,シーレが生活していた街を体感することでしたが, このコーナーではクリムトについてお話しします。

☆ クリムトのお墓

 まず,クリムトのお墓ですが,ウィーン西方のシェーンブルン宮殿の敷地(隣地?)のヒーチング墓地(friedhof hietizing)にあります。地図は,今回もインターネット上のSchnelle Suche bei plan.at(http://www.plan.at/suche/)及び Wien Grafik Adresssuche(http://www.wien.gv.at/wiengrafik/suche.htm) から入手しました。

 「ウィーン周辺図」のピンク部分がウィーン市で,シェーンブルン宮殿は ① のあたりです。

○ ウィーン周辺図(再掲)

 地図を見ると,ヒーツィング墓地はシェーンブルンの一画なので,宮殿の所から入り,グロリエッタまで登りました。 そこから,人の流れに乗って行くと,チロル庭園から植物園を通り,西側の大道りに出てしまいました。そこからしばらく南に進むと, 左手に墓地が見えてきました。

○ シェーンブルン宮殿周辺図



○ グロリエッタからの眺め(再掲)
 グロリエッタはすぐ近くに見えるようでも,傾斜はきつくけっこうな距離でした。登った途端大きく 広がるシェーンブルン宮殿越しに見える旧市街地はすばらしく,絶好のロケーションでした。

○ チロル庭園のりす
 チロル庭園から植物園にかけて,野生のリスがたくさん走り回っていました。人が通ると,エサをねだりに寄ってきます。 愛らしいしぐさは,私たちをほっとさせてくれました。


○ ヒーツィング墓地  2002.11

 墓地の入り口は,何カ所かあります。植物園から2番目か3番目だったと思いますが, 掲示板の張り紙にクリムトの名前がある入り口を見つけ,そこから入りました。
 張り紙には,場所が記号で書かれていましたが,わかりにくく, その入り口から北東の方向へ歩いていて見つけることができました。 地図の丸印のあたりだろうと思いますが,確証はありません。 次回の訪問で確認したいと考えております。


 ちょっと,ずれていました。  2004.11


○ クリムトのお墓 2002.11

 私は,クリムトも好きですが,シーレに対するほどの特別な思いは持っていませんでした。 クリムトのお墓を訪れたことも,ついでにという感じでした。
 ところが,無防備に訪れたクリムトのお墓は,シーレでは感じられなかった驚くべきエネルギーに動揺してしまいました。 これが,クリムトとシーレの差なのかと思いました。もっとも,クリムトとシーレを同じ土俵で比べるのは無意味かもしれませんが。
 水沢勉さんからお伺いした話では,クリムトのお墓はヨーゼフ・ホフマンのデザインで,まさにウィーン世紀末。 それに比べると,シーレの墓は 後期表現主義といったところでしょうかとのことです。 墓のデザイン力の差もあるのではないかと私は思います。


☆ クリムトの墓地についての追加報告  2004.11

○ クリムトのお墓について

 クリムトのお墓の位置が適当な表示のままでしたので,直します。
 位置は,下図の①です。

 まず,入り口ですが,ヒーチング墓地は広いので何カ所もあります。


 ヒーチング駅、動物園の方角から歩いていくと2番目の入り口に案内板があります(上図の③)。

 1番目の入り口は,上図の⑤です。ここからでも入れますが,案内板はありません。

 2番目の入り口の外側(歩道)には,ローソクの自動販売機が設置してありました(上図の③,右写真)。

 向かいは,大きなハンマーの看板がある石屋(墓石?)さんです(上図の④,左写真)。




 正面入り口の案内板には,お墓の場所の表示している紙が貼ってあります。

 Klimt Gvstav 5-194/195と表示してあります(左図の①,上図が拡大図)。

 お墓の位置は,5ブロックの194/195番です(左図の②)。

 この地図は,上が東になっているので,注意してください。

 クリムトのお墓です(位置は,最上図の①)。

 いつ行っても,お花がきれいに供えられています。


      2004年11月


☆ クリムト・ヴィラ
○ クリムト・ヴィラ
  東から西に撮影)

 クリムト・ヴィラは,クリムト最後のアトリエです。この敷地内に足を踏み入れた途端, クリムトの墓地で味わったエネルギーを感じました。
 アトリエもシーレの方は今でも人が普通に暮らしているのに対し,このアトリエは記念館になっていて, 写真で見るよりは朽ち果てていて迫力があるのかもしれません。



○ クリムト・ヴィラ(北から南に向かって撮影)


☆ 分離派館

○ 分離派館正面玄関
 正面玄関の上には,
「DER ZEIT IHRE KUNST/ DER KUNST IHRE FREIHEIT」
(時代にはその芸術を 芸術にはその自由を)
が掲げられているのは 知っていましたが,写真では半分切れていて残念です。 ヨーロッパの建物は,大きすぎて,うかうかしているとカメラに収まり切りません。

 ここの地下には,「ベートーヴェン・フリーズ」が展示されています。別の部屋では, 現代美術が展示されていました。

○分離派館全景(ナッシュマルクト方向から)


☆ ナッシュマルクト

 ○ ナッシュマルクトの果物屋さん
 分離派館のすぐ近くにあるウィーン最古の生鮮食品市場です。値段がとても安く, 果物などバケツ一杯くらいずつ買って帰っている人が多いとのこと。 ここには,寿司屋さんもあり,ためしに「アボマキ」を買いました。 アボガド巻と思いますが,予想外に美味でした。ペストリーも買いました。 ケーキにも言えることですが,ウィーンのお菓子は木の実がたくさん使われていて,甘さもちょうど良く,とてもおいしい味がします。空港で売られているザッハトルテのあの甘さとは違います。

○ 蚤の市
 延々と続いたナッシュマルクトが終わったところで,ちょうど土曜日だったので蚤の市が開かれていました。 雨が降っていたのにもかかわらず,大にぎわいでした。あまり欲しいものがなく,値段は高めに思えました。

 ○ ホテルの部屋で悪夢にうなされるエゴンちゃん
 ナッシュマルクトで,ドライフルーツでできた悪魔を3つ買いました。 ちょうどクリスマス・シーズンだったので,セントニコラウスと一緒にやって来て, 悪いことをした子供達をこらしめるという悪魔の人形をあちこちでよく見かけました。


美術史博物館

○ 美術史博物館
 右の写真は,改装中の足場に掲げられていた特大のポスターです。
 いかにも工事中といえる正面入り口から入ったとたん,正面階段の豪華さに目を奪われ,しばらくの間そこに留まっていました。 ここの壁画の一部を クリムトが手がけています。クリムトらしい作品です。この圧倒的な階段だけでなく, コレクションは,いうまでもなく充実しています。何度でも行きたい美術館です。 内部の写真を撮れなかったことは残念です。


☆ ウィーン市立歴史博物館

ウィーン市立歴史博物館
ウィーン世紀末のシンボル,カールスプラッツ駅舎から東へ歩いてすぐの場所にありますが, 華麗なバロック様式のカール教会に見とれて見逃してしまったくらい現代的な建物で目立たない場所にあります。 しかも,クリムトとシーレの部屋は「CLOSED」ということで残念でした。 理由は,よくわかりませんでした。
 道をはさんで,ニュー・イヤー・コンサートが開かれるウィーン楽友協会があります。


☆ オーストリア・ギャラリー

オーストリア・ギャラリー
 (ベルヴェデーレ宮殿上宮)

 クリムト・シーレ好きにはおなじみのオーストリア・ギャラリーですが, 今回はちょうどクリムトの風景画展(2002.11.12 -2003. 2.23)が 開かれていました。 クリムトがいつも着ていたブルーの丈の長いスモック, 愛用の望遠鏡なども展示されていて興味を引かれました。
 シーレの作品も一階に移動して展示されていてラッキーでした。


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