個 展 記 録 |
◎ | 個展の報告とお礼 |
宮崎郁子人形展 「等身大のエゴンシーレ」 2004.6.18~23 カフェギャラリーMs(岡山市) 今回の個展では,シーレの友人画家ギュータースローと義姉アデーレの等身大の人形2体をメインの作品として展示いたしました。 東京にくらべると,岡山はエゴンシーレの浸透度は非常に低いこともあり,今回は,本ホームページを元にファイルを作成し, より多くの人に知っていただきたいと思いました。拙いファイルではありましたが,写真をたくさん取り入れた事と展示場(カフェ)の性質上, 多くの方々に熱心に読んでいただき,感謝しております。ありがとうございました。 2004年初夏 宮崎郁子 | |||
○ 人形展のBGMについて 以前からシェーンベルクの作品を人形展で流したいと考えていましたが,いつも人形の方が拒否するので,断念していました。今まではオペラの アリア集,モーツァルトの宗教曲などがよく似合うような気がしていました。 前回の個展(スパンアートギャラリー)では等身大の人形と小さい人形が混在してはいましたが,等身大の人形がいることで, なにか人間の言葉をBGMとして使いたいと思い,モーツァルトのオペラ「魔笛」を流してみました。テーマ(「死」が重要な位置を占めていると私は 感じています。)としてもそんなに的はずれではないと思いますし,なによりドイツ語のせりふが長くてとても良かったと思っています。 多くのお客さんに入っていただけるようにギャラリーのドアを開放していたので,車の騒音もあり,音楽を切っていることが多かったことは 残念でした。 今回は,カフェという生活感あふれる空間で等身大の人形たちは,とてもリラックスしているように思いました。 今回は詩の朗読を と思い,シェーンベルクの「ナポレオンへの 頌歌」「月に憑かれたピエロ」を使おうと思っていたのですが,この2曲が収められているグレングールドのシェーンベルク作品集(2枚組)の 中のピアノの小品集のほうがぴったりでした。 シェーンベルクのピアノ曲に私の人形が似合うということは,私自身が少しはシーレに近づけたように感じ,うれしく思いました。ただし, 私以外の人には,少し評判がわるかったので1日でやめました。残念。 いろんな人たちがで出入りする場所でのBGMは,むずかしいですね。 |
○ シェーンベルクとシーレの関係 この事に関しては,水沢勉さんが《アール・デコの世界5 ウィーン 世紀末都市のアール・デコ 編者千足伸行 学習研究社 2001年》の 「回生の十字路 エゴンシーレとウィーンのモダニスト」のなかで詳しく述べられていますので,少しご紹介しておきます。 このなかで私がとても興味をひかれたのは,シーレは画家としてのシェーンベルクを1912年はじめ頃には知っていたというところです。 シェーンベルクは,このころには,画家としても,精力的に活動していたらしく,またその作品が発するイメージは,そのころのシーレの作品と 不思議なほど似通っていると指摘されています。 また,1917年に親友であり,義弟の画家アントン・ペシュカに宛てた手紙でシーレは,「クンストハレ」の構想について,情熱的に語っています。 シーレは,芸術家と芸術愛好家によって設立される,協会ではなく,制作者の集団「クンストハレ」の準備をすすめていました。この手紙のなかで, シーレは,各分野の芸術家の名前をあげていますが,音楽家としては,はっきりとシェーンベルクと名前をあげて語っています。 しかし,シーレがなぜシェーンベルクの名前を挙げたのか,また,「クンストハレ」計画にシェーンベルクが積極的に関わっていたのかどうかというは, 資料によって,確かめることはできないそうです。ただ,この手紙を書いた頃,シーレによるあの一連のシェーンベルクの肖像画が描かれている ということはわかっています。 ○ アルノルト・シェーンベルク Arnold Schoenberg(1874~1951) 1874年,ウィーンで生まれ,銀行に勤めていたが,独学で作曲を学び,その後,アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキーに短期間師事。 最初の後期ロマン派風の作風から発展して,次第に調性の希薄な作品へと移行していく。その後,伝統的に守られていたヨーロッパ音楽の調性を放棄し, 無調音楽に作風を転じる,やがて,システマティックな無調の作曲法である,十二音技法を発案し,後半生をこの技法の発展に費やし,その後の現代の 作曲家たちにおおきな影響を与えた。 ナチの台頭により,ユダヤ人であるシェーンベルクは,アメリカに亡命し,1951年,ロスアンゼルスで亡くなった。 「新ウィーン楽派」と称されるヴェーベルン,ベルクは彼の弟子である。 CD;《20THCENTURY A Fresh Breeze from Vienna A.Schoenberg DEUTSCHE GRAMMOPHON》の長木誠司氏の解説から 若い血気盛んなころの素顔のシェーンベルクのことが,その当時のウィーンの芸術界の華であったアルマ・マーラーによって,紹介されています。 アルマは,作曲家グフタス・マーラーの妻であり,グフタス亡き後,ココシュカに熱烈に愛された女性です。アルマもチェムリンスキーに作曲を 師事していた関係で,シェーンベルクもマーラー家に出入りするようになったようです。若くて生意気なシェーンベルクに腹をたてることもあった グフタス・マーラーですが,終始,「今にみてごらん。もうすぐこの人は世界的に有名になるからね。」と言っていたそうです。 そして,実際,シェーンベルクの演奏会で一人の評論家が口火をきって,たちまちにして怒号と喚声でつつまれ,後にも先にも例のないような 混乱になってしまったときにも,マーラーは,身体をはって,シェーンベルクを擁護したそうです。 《 アルマ・マーラー著 石井宏訳 グフタス・マーラー 愛と苦悩の回想 中央文庫 1987》 より |
◎ | 個展の案内 |
宮崎郁子人形展 「等身大のエゴンシーレ」(仮題) ギュータースローとアデーレの2体展示予定 ○ 期間 2004年6月18日(金)~23日(水) ○ 場所 ギャラリーとコーヒー エムズ 岡山市内山下2-5-16(CASビルB1) 営業時間 AM9:30-PM7:00 ℡086-225-3726 |
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